誰かの人生の生き方や死生観を聞いて、自分らしく生きてくことは何かのヒントを見つけたら。 人生100年時代、自分らしく生ききるとは何かを求めてお話を伺いました。
家の整理は人生の整理
私の母は現在70代後半に入り、最近ではよく「終活」について口にするようになりました。母はもともと元気で私たち家族の中でも一番の働き者でしたが、父が数年前に亡くなったことで死や老いに対する考えが大きく変わったようです。それまで母は「まだまだ元気よ」と言っていたのですが、父の死をきっかけに「私もいつどうなるか分からない年齢なんだね」としみじみ語り始めました。そこから、母が本格的に終活に取り組み始めたのです。母がまず取り組んだのは、家の中の整理でした。私は「そんなに焦らなくてもいいんじゃない?」と思っていましたが母にとっては自分の「人生を締めくくる」準備が進めることで、心が落ち着くようでした。「自分らしく生きるために身軽でいたいの」と母は言い、家に溜まっていた使わないものや古いアルバムなども見直し始めました。古い写真を見ながら「これはあんたが生まれた頃」「お父さんと旅行に行ったとき」と、色々な思い出を語ってくれるのを聞いていると母がどれほど大切な時間を過ごしてきたかが伝わってきます。そして母にとってもこれは過去を振り返り、自分の人生を整理する大切な時間だったのだと思います。
ある日、母が「遺言についても考えないといけないね」と私に話してきました。私は少し驚きましたが母が「家族が後で揉めるのは嫌だし、自分の希望もきちんと残しておきたい」と言っていたのが印象的でした。母の口から「遺言」という言葉が出たとき私は少し切なく感じましたが、それと同時に母が自分の人生をしっかりと見据え私たちに迷惑をかけたくないという気持ちがひしひしと伝わってきました。母は弁護士の方に相談しながら遺産の分配や自分の葬儀の希望、どんな形で見送ってもらいたいかを考えているようでした。母が私たちのためにこうして準備をしてくれていることに感謝しながらも心のどこかで母がいなくなる日が少しずつ近づいている現実を感じ、複雑な気持ちにもなりました。母は最近認知症についても不安を抱えているようで「もしも私が認知症になったら、どうする?」と相談してきます。私自身実は母が認知症になる可能性について深く考えたことがなかったため、最初はどう答えていいのか戸惑いました。しかし母は「もしそうなったら、自分らしくいられるかどうかが心配」と語り私にできる限り母の希望に寄り添いたいと感じます。母は「今の私が認知症になったら、自分がどうなってしまうのか怖いけれどどうか私を大切にしてほしい」と涙ぐんで話してくれました。その言葉を聞いたとき家族が母にどう寄り添い、支えていくべきか私も考えさせられます。


物を整理して人生を再確認
自分らしさを見つける
母の終活に関する姿勢から、私は母が「自分らしく」人生の最期まで過ごしたいと強く思っていることを感じます。母は自分が周りにどう見られるかや社会の常識にとらわれず、最後の時まで自分らしくいたいと願っています。そしてそのために日々自分の心の整理をしているのだと感じました。母にとって終活は単なる物の整理や財産の管理ではなく、自分の人生を再確認しより充実した時間を過ごすための心の準備なのだと思います。私も母の姿を見ているうちに死生観や人生観について考えさせられ、自分がどのように最後を迎えたいかを見つめ直すようになりました。母のようにただ長生きすることだけが重要なのではなく、自分らしく生きるために必要な準備をしどんな状況でも後悔なく過ごせることが本当の「生きる意味」なのだと思うようになります。母の死生観や人生観を通して私も少しずつですが、自分の将来や家族との向き合い方について学び続けていると感じます。母がこれまでに積み重ねてきた人生の深みや価値観は、私にとっても大きな教訓となっています。母の終活の様子をそばで見守りながら私も家族に対する責任や、自分の人生の締めくくり方を考えるようになりました。


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