自分が最後までどうありたいかを考えることは
何歳であっても大切
何歳であっても大切
最近になって、私はよく人生観について深く考えるようになりました。20代や30代は家族のため仕事のため、ただがむしゃらに走り続けていましたが50代になりふと立ち止まって「自分らしく生きる」とはどういうことなのかを意識するようになります。特に「終活」という言葉が広がる中でこれまでの自分の歩みを振り返り、残りの人生をどう過ごすべきかを再認識する機会が増えてきました。終活について考える中で自分が大切にしたいことや、どういう姿勢で最後のときを迎えたいかが次第に見えてきたのです。
最初に意識し始めたのは、母が認知症の診断を受けたときでした。それまでの母は朗らかで活動的な人でしたが、認知症が進行するにつれて次第に自分のことも忘れ身近な人を認識することも難しくなっていきました。その姿を見ているといつか私もこんなふうに家族に迷惑をかけてしまうのではないか、という不安がよぎります。介護する側の気持ちも初めて実感しましたし母のように意思疎通ができない状態になってしまったとき、どうやって「自分らしく生きる」を保てるのかはっきり言って途方に暮れる思いもありました。しかし母が介護を受ける中でも少しでも笑顔になれる瞬間があるのを見て、「自分が最後までどうありたいか」を考えることは何歳であっても大切なことだと感じます。
それから私は、少しずつでも自分の終活に取り組むことにしました。まず最初にしたのは、家族と将来について話し合うことです。普段から何気なく話しているようで実際に「もし私が認知症になったら、どうしてほしいか」や「延命治療を受けるかどうか」といったことは話し合っていませんでした。最初は気恥ずかしく子供たちも戸惑っている様子でしたが、「いざというときに混乱しないように今から話しておきたい」と伝えたことで真剣に耳を傾けてくれました。自分の意思を家族に伝えることは愛情の表れであり、残された者たちのためにもなるのだと感じます。
最初に意識し始めたのは、母が認知症の診断を受けたときでした。それまでの母は朗らかで活動的な人でしたが、認知症が進行するにつれて次第に自分のことも忘れ身近な人を認識することも難しくなっていきました。その姿を見ているといつか私もこんなふうに家族に迷惑をかけてしまうのではないか、という不安がよぎります。介護する側の気持ちも初めて実感しましたし母のように意思疎通ができない状態になってしまったとき、どうやって「自分らしく生きる」を保てるのかはっきり言って途方に暮れる思いもありました。しかし母が介護を受ける中でも少しでも笑顔になれる瞬間があるのを見て、「自分が最後までどうありたいか」を考えることは何歳であっても大切なことだと感じます。
それから私は、少しずつでも自分の終活に取り組むことにしました。まず最初にしたのは、家族と将来について話し合うことです。普段から何気なく話しているようで実際に「もし私が認知症になったら、どうしてほしいか」や「延命治療を受けるかどうか」といったことは話し合っていませんでした。最初は気恥ずかしく子供たちも戸惑っている様子でしたが、「いざというときに混乱しないように今から話しておきたい」と伝えたことで真剣に耳を傾けてくれました。自分の意思を家族に伝えることは愛情の表れであり、残された者たちのためにもなるのだと感じます。

「遺言」を残すことも真剣に考え始めました。財産分与についての明確な指示を出すだけでなく自分の想いや考えを文章に残すことができれば、家族に対する最後のメッセージで心に刻んでもらえるのではないかと感じたのです。遺言書を作成するにあたり法的な効力がある内容にするためには専門家のサポートも必要だと知りましたが、書く過程で「自分が本当に家族に伝えたいことは何か」が見えてきました。それはただ物を分け与えること以上に、自分の価値観や人生観を後世に伝えることだったのです。子供たちには「自分らしくやりたいことを見つけて人生を楽しんでほしい」と思っているので、その気持ちを正直に残したいと思いました。
「長生きすること」よりも
「自分らしく生きること」
「自分らしく生きること」
もちろん、終活の中には日常の小さな整頓も含まれます。自分がいなくなったときどれだけ家族が負担なく整理できるかを考えると、日頃から物を整理することが必要です。特に思い出の品々や写真の管理については家族が見て分かるようにラベルをつけたり、一部をデジタル化するなど少しずつ工夫をしています。こうした作業はただ物を片付けるだけでなく、自分自身のこれまでの歩みを振り返る良い機会にもなり自然と感謝の気持ちが湧き上がってくるものです。大切な人たちと過ごした思い出や、長い年月の中で築いてきたものがどれだけかけがえのないものであったかを再認識する瞬間でもあります。
そして終活を意識する中で「人生の締めくくり」に対する心構えも徐々に変わってきました。若い頃は漠然と「長生きできればそれでいい」と思っていましたが母の介護を経て、「長生きすること」よりも「自分らしく生きること」の方が大事なのだと感じるようになります。
そして終活を意識する中で「人生の締めくくり」に対する心構えも徐々に変わってきました。若い頃は漠然と「長生きできればそれでいい」と思っていましたが母の介護を経て、「長生きすること」よりも「自分らしく生きること」の方が大事なのだと感じるようになります。