50歳から考える終活
私は今年、ちょうど50歳を迎えました。これまでは家族のために働き、家事や子育てに忙殺されて自分の人生や「死」についてじっくり考える時間はありませんでした。しかし子供たちが独立し、少しずつ自分の時間が増えたことで自然と自分自身の「人生観」や「死生観」に向き合うようになりました。この年齢になると自分の先にどんな未来があるのか、避けられない「老い」や「最期の時」を考えないわけにはいきません。私の周りでも同じように終活を考える友人が増え「自分らしい人生の締めくくり方」をどうするかは、今や私にとっても大きなテーマです。
特に私が考えるきっかけになったのは、母が認知症を発症したことでした。母はいつも優しく家族の中心的な存在でしたが、認知症が進行するにつれて少しずつ母らしさが失われていくのを目の当たりにしました。最初は物忘れ程度だったのが次第に私や家族の顔も思い出せなくなり、当時の母は誰が見ても別人のように見えたのです。その姿を見て、「私もいつかこんなふうになるかもしれない」と強く実感するようになりました。認知症になってもし家族の顔も忘れてしまったときに、自分がどんな気持ちで過ごすのか考えれば考えるほど不安で胸が苦しくなります。しかし同時に、できる限り「自分らしく」最期まで過ごしたいという思いも芽生えてきました。
特に私が考えるきっかけになったのは、母が認知症を発症したことでした。母はいつも優しく家族の中心的な存在でしたが、認知症が進行するにつれて少しずつ母らしさが失われていくのを目の当たりにしました。最初は物忘れ程度だったのが次第に私や家族の顔も思い出せなくなり、当時の母は誰が見ても別人のように見えたのです。その姿を見て、「私もいつかこんなふうになるかもしれない」と強く実感するようになりました。認知症になってもし家族の顔も忘れてしまったときに、自分がどんな気持ちで過ごすのか考えれば考えるほど不安で胸が苦しくなります。しかし同時に、できる限り「自分らしく」最期まで過ごしたいという思いも芽生えてきました。

こうして「終活」について考えるようになり最初に手をつけたのが、身の回りの整理でした。私は今まで何かを捨てるのが苦手で、つい物を取っておく癖がありました。昔の手紙や子供たちが小さい頃にくれた絵やメモなど、思い出の品が家の中にあふれています。けれども母の介護を通じて、いざという時に家族がこうした物の整理に悩むかもしれないと気付き思い切って整理を始めることにしたのです。最初は少しずつですが見返していると、家族との思い出がよみがえり一つ一つが私の歩んできた人生そのものだと感じました。それと同時に「今のうちに、ちゃんと自分で整理しておこう」という気持ちが強まり少しずつ物が減っていくことで心の整理もついてきたのかもしれません。
とりあえず遺言を書いてみる
そして遺言についても考え始めました。私は財産が特別に多いわけではありませんが、家族に伝えたい思いや希望が多くありそれをしっかり残しておくことも大切だと思ったのです。ある日思い切って家族に「もしものときに備えて、私も遺言を残そうと思っている」と伝えました。家族は少し驚いていましたが話しているうちに「どんな形で見送ってほしいか」や「大切にしてきた物についてどうするか」など、具体的なことを私から伝えておきたいと感じます。遺言書には法律的なことだけでなく、家族への感謝の気持ちや自分が大切にしてきた価値観についても書き添えておきたいと考えています。それは私が家族に伝えられる最後のメッセージで、できるだけ誠実に書き残したいと思いました。
終活を考えるようになって、認知症への不安もますます大きくなってきます。母の介護をしていたとき進行するにつれ、母がどんどん自分らしさを失っていくのを感じました。だからこそ、「私も認知症になったらどうなるのだろう」という恐怖が心に強くあります。もし周りの人や自分自身のことも分からなくなってしまったら、自分らしく生きることはもうできなくなってしまうのではないか。そう考えると、ただ長生きするだけが本当に良いのだろうかと疑問に思うようになりました。父の終活や死生観に触れることで、私自身も自分の人生やこれからの生き方について考えさせられています。
父が最期まで自分の価値観を持ち続け家族に対する愛情を示してくれる姿は、私にとっても大きな教えとなっているのです。父の「自分らしく生きる」終活の姿勢を見守りながら、私もこれからの人生をしっかりと歩んでいこうと心に誓っています。
終活を考えるようになって、認知症への不安もますます大きくなってきます。母の介護をしていたとき進行するにつれ、母がどんどん自分らしさを失っていくのを感じました。だからこそ、「私も認知症になったらどうなるのだろう」という恐怖が心に強くあります。もし周りの人や自分自身のことも分からなくなってしまったら、自分らしく生きることはもうできなくなってしまうのではないか。そう考えると、ただ長生きするだけが本当に良いのだろうかと疑問に思うようになりました。父の終活や死生観に触れることで、私自身も自分の人生やこれからの生き方について考えさせられています。
父が最期まで自分の価値観を持ち続け家族に対する愛情を示してくれる姿は、私にとっても大きな教えとなっているのです。父の「自分らしく生きる」終活の姿勢を見守りながら、私もこれからの人生をしっかりと歩んでいこうと心に誓っています。