誰かの人生の生き方や死生観を聞いて、自分らしく生きてくことは何かのヒントを見つけたら。 人生100年時代、自分らしく生ききるとは何かを求めてお話を伺いました。
72歳で終活を意識する
私の母は今年で72歳になり、ここ数年は「終活」についてよく口にするようになりました。母はもともと明るく社交的な性格で、人生にも前向きな人でした。ですが最近は「自分もいつかは」と、老いや死を見据えた話をすることが増え私はその度に母が少しずつ「人生の終わり」を受け入れているのを感じています。そんな母が終活について真剣に考えるようになったきっかけは、やはり家族が直面した経験でした。

数年前、母の親友が突然の病で他界しました。元気だった友人が急に亡くなったことで大きなショックを受け、その日から自分の人生や死について真剣に考え始めたのです。「あの人がいなくなるなんて想像もできなかった」と寂しそうに呟くその姿を見て、私も複雑な思いを抱えました。友人を失ったことでそれまで漠然としか考えていなかった自分の最期について考えるようになり、「残された時間をどう過ごすべきか」を改めて問い直したのだと思います。
母が終活を始めるにあたり、まず行ったのは家の整理でした。「私がいなくなった後みんなに迷惑をかけたくない」と言いながら、母は少しずつ自分の持ち物を整理し始めました。その作業は思い出の品をひとつひとつ手に取り、過去を振り返ることでもあります。母と一緒に古いアルバムを見ていると私が幼い頃の写真や家族旅行の思い出がたくさん詰まっていて、懐かしさとともに「母はこんなに多くの思い出を抱えて生きてきたのだな」と感じました。母にとって終活とは単に物を片付けるだけでなく、自分の歩んできた人生を見つめ直す機会でもあったようです。


遺言を書いて整理してみる
母は「遺言」についても真剣に考え始めました。ある日母が「遺言を書こうと思う」と言い出したときには少し驚きましたが、それは母なりの「自分らしく生きる」ための一歩だったのです。「財産を分けるだけでなく、私の思いも残したい」と母は言いました。家族が将来のことで揉めることがないようにという気持ちもあったのでしょうが何より、彼女自身がしっかりと自分の考えや価値観を伝えておきたいという思いが強いのだと思います。「みんなが私の気持ちをきちんと分かってくれていたら、それだけで私も安心できる」と言っていたのが印象的でした。遺言は母にとって最期まで「自分らしく」あるための手段であり、残される者たちへの愛情の表れだったのかもしれません。

母は死生観についても最近よく話してくれるようになります。昔は、長生きすることが一番だと考えていました。しかし最近では「長生きするだけが幸せじゃない」と言うようになり、「認知症などになるより健康でできるだけ迷惑をかけずに自分らしく生きていきたい」という考え方が中心になってきました。私に「延命治療は受けたくない」とも話してくれましたがその意図は単に治療を避けたいというだけではなく、できる限り自然な形で無理せず自分の人生を全うしたいという母なりの死生観から来ているものでした。


自分らしい生き方
人生観や死生観を確認する
母の終活に触れる中で私もどれだけ真剣に人生を考え、何が「自分らしい生き方」なのかを模索しているのかが分かってきました。それはただの準備ではなく、自分の人生観や死生観を確認し残りの人生をより充実させるための大切なプロセスなのです。一つ一つの行動や言葉から私は人生への真摯な向き合い方を学び、私自身も「どう生きるか」「どう最期を迎えるか」について考えさせられます。

こうして母が語る人生観や死生観に触れることで、私は自然と自分の未来にも目を向けるようになりました。終活を通して、家族にとって「自分らしく生きる」というのは何よりも大切なことだと実感しています。生き様を見ながら私も少しずつ、自分の人生の歩み方を見つけていきたいです。
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