誰かの人生の生き方や死生観を聞いて、自分らしく生きてくことは何かのヒントを見つけたら。 人生100年時代、自分らしく生ききるとは何かを求めてお話を伺いました。
終活のきっかけ
私の父は現在76歳で私が育ってきた家庭の中でいつも静かに家族を見守り、堅実に生きてきた人でした。私にとって父はいつも頼りがいがある存在で家族のために黙々と働くその姿勢から、将来のことや死について話すことはほとんどありませんでした。けれども数年前に父が親しい友人を亡くしたことがきっかけで、「終活」という言葉を口にするようになったのです。最初に聞いた時には驚きと戸惑いがありましたがその後、その変化を受け入れていくことで私も一緒に父の人生観や死生観に向き合うことになりました。
父は親しい友人を突然失ったとき、大きなショックを受けています。私にとっても幼い頃から慣れ親しんできた友人だったので、父と一緒に悲しみを分かち合ったのを覚えています。その出来事をきっかけに「自分もいつかは死と向き合わなければならない年齢だ」と感じるようになったのか、少しずつ死に対する考えを語るようになりました。それまでは父の死生観を知る機会がなかった私にとってその変化は少し寂しい気持ちもありましたが、「自分らしく終わりたい」という父の意志に触れるうちに私もその考えを受け入れるようになります。


父の終活と遺言作成への取り組み
父が終活を始めた最初のステップは、物の整理からでした。「何かを捨てるのは今までの人生を見直すことでもある」と父は言い、昔から大事にしてきた写真やアルバムを眺めながら少しずつ整理を始めました。ある日私も一緒にアルバムを見返す機会があり、子供の頃の思い出や家族で過ごした旅行の写真などが次々と出てきます。その写真を見ながら一つ一つの場面を懐かしそうに振り返り、「これが俺の人生だったんだな」としみじみと語りました。私にとっても父がこれまでどんなふうに生きてきたかを改めて知る時間となり、家族との時間の大切さを強く感じます。

遺言には、父の「自分らしく」という思いが詰まっていると感じました。決して豪華な財産分配ではありませんがどう家族と向き合い、どんな気持ちで最期を迎えたいかが真摯に込められているように思えます。自分の考えや価値観を私に話してくれること自体が、大切な親子の絆を改めて感じさせる瞬間だったのです。遺言は単なる法的な書面というよりも、自分の人生の集大成を家族に伝えるメッセージのようでした。


認知症への不安と家族の支え
父がもう一つ終活の中で気にしているのは、将来の健康特に認知症への不安でした。年齢を重ねるごとに物忘れが増えたことを感じるようになり、「もし認知症になったら家族が迷惑をかけるだろうな」と心配するようになりました。ある日父が真剣な表情で「俺が認知症になったら、どうしてほしいか考えておかないとな」と言ったときには私もその不安が強くあります。父は自分らしさを失うことが一番の不安のようでできる限り健康で、自分らしい生活を続けるための工夫を始めています。

父は日常の中で記憶力を鍛えるために毎日新聞を読むようにしたり、頭の体操をするようなゲームを取り入れたりして少しでも認知症の進行を遅らせられるよう努力しています。認知症を防ぐために取り組んでいる様子を見ると、私もできる限りのサポートをしたいです。そのことについて話し合うとき父は「いつか本当に自分のことも忘れてしまう日が来るかもしれないけど、その時もどうか俺を大切にしてほしい」と話してくれました。

父の「終活」や死生観に触れながら、私も自分自身の人生観について考えさせられました。歩んできた人生を振り返りながら彼の「自分らしく」という思いがどれほど強いものかを知ったことで、私もこれからの人生を大切に生きていこうという気持ちが湧いてきます。
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